在宅医の泣き笑い診療録

宮崎県都城市の高齢者住居を抱えるクリニックで、理想の在宅医療を模索する新米在宅医の悲喜こもごも

シロちゃんの入浴

シロちゃんは、彼女の赤ちゃんの名前だ。

 

寒い夜は毛布にくるみ、シロちゃんが泣けばそっと抱きしめ、眠れない時は子守唄を歌い、どこに行くにも一緒だ。デイサービスにも、ラウンジに食事に行く時も一緒に連れて行く。手押車にちょこんと前を向いてシロちゃんは座っている。彼女は手押車を押しながらゆっくりゆっくり歩いていく。

 

90歳の彼女に赤ちゃんがいるはずもなく、シロちゃんはシロアザラシの小さなぬいぐるみだ。彼女は、シロちゃんを、もしかすると本当の赤ちゃん以上に溺愛している。彼女にとっては、かけがえなのない存在なのだ。

 

往診で彼女を診察するときは、彼女の胸の音を聞いた後に、シロちゃんの小さな胸にも聴診器をあてる。「大丈夫?」と心配そうに覗き込む彼女は「大丈夫よ。シロちゃんは元気よ」に満面の笑みを浮かべる。ままごとのような診察だけど、僕もスタッフも真剣にやっている。大げさになるが、僕たちは、彼女の世界観を大事にしようと決めているからだ。

 

認知症のためにぬいぐるみを赤ちゃんだと思い込んでいる、と言ってしまえば、それでおしまいの話で、似たようなことはどこにでもよくあるかもしれない。認知症の症状で幻覚や幻想を持つことがあるが、治療者はそれを肯定してはいけないと言われることがある。だから、診察の時にも、彼女に「シロちゃんは大丈夫?」と訊かれれば、「シロちゃんはぬいぐるみだから病気にはならないのよ」というのが正解かもしれない。僕たちがそう言わない理由は、いろいろ御託を並べれば感動的なことも言えそうな気がするが、立派な理由があるわけではない。僕たちがそう言わない理由は、「シロちゃんはぬいぐるみだから病気にはならないのよ」と言うことが、なんだかしっくりこないからだ。やっぱり、シロちゃんは彼女の赤ちゃんに見えてしまうからだ。それほど、彼女が真剣に可愛がっているからかもしれない。彼女が、そう思うならそうしてあげよう、と口裏を合わせたわけではないが、なんとなくそれが共通認識になっている。

 

ロマンチストっぽいことを恥ずかしげもなく言うが、きっと、魔法使いがやってきて、本当に彼女の赤ちゃんをシロちゃんに変えてしまったのだと思う。そして、その魔法使いは、もう一つ魔法をかけたのだろう。それは、シロちゃんを見る人がみんな、シロちゃんは彼女の本当の赤ちゃんだと信じてしまう魔法だっだ、と。

 

ちょっと頭がおかしいと思われるかもしれないが、それでいいじゃないかと僕は思っている。なぜならば、シロちゃんは単にぬいぐるみであることより、彼女の赤ちゃんであったほうが、彼女が幸せだからだ。認知症をどうにか食い止めることも僕たちの役割かもしれない。しかし、「老い」という自然の流れはどうやっても止められない。僕たちの仕事は、自然の流れに抗うことではなく、その中に幸せを見つけることかもしれないと、彼女とシロちゃんを見ていて思うことがある。

 

シロちゃんをそんな風に思ってしまうのは、中学の時に好きだった先輩に、全く同じシロアザラシのぬいぐるみをもらったことがあるからかもしれない。そんな甘酸っぱい過去は、スタッフには秘密にしてあるが。。。きっとその偶然も、魔法使いの仕業に違いない。

 

シロちゃんは、赤ちゃんだから、もちろん食事もする。彼女は、自分の食事からシロちゃんが食べられそうなものを食べさせている。ヨーグルトだったり、柔らかいデザートだったり。ところがシロちゃんときたら、おちょぼ口なのか、小食なのか、他の赤ちゃんと同じように食べこぼしが多い。口の周りや首回り、胴体まで、カピカピに汚れてしまっている。口の周りは特にひどい。このままでは育ちの悪い子に思われてしまう。

 

これまでにもスタッフは何度かシロちゃんを預かって洗おうとした。しかし、彼女は自分の手から離れることも、誰かが自分の見えないところへシロちゃんを連れて行くことも嫌がるので、シロちゃんを洗うことができなかった。

 

冬はまだいい。問題は、梅雨だ。梅雨には、シロちゃんの食べかすにはカビが生える。これは衛生上、さすがに許容できない。梅雨までになんとか解決法を見つけなければと頭を抱えていた。

 

そんな時にスタッフの一人が、

「デイサービスで入浴する時に、一緒にお風呂に入って洗ってもらいましょうよ」

とニコニコしながら提案した。彼女はデイサービスでお風呂に入っている。その時に一緒にお風呂に入れて、洗ってもらいましょうよ、ということだった。

 

お〜!!ナイスアイデア!!と思ったが、その瞬間、ちょっとだけ魔法が解けて、大人の僕が顔を出してしまった。

 

いや、いくらシロちゃんが彼女の赤ちゃんとなっているとは言え、デイサービスの人に、シロちゃんは赤ちゃんなので、彼女と一緒に、赤ちゃんの「てい」でお風呂に入れて洗ってください、と言ったら、デイサービスの人は怒るんじゃないか?それは、自分たちの仕事じゃないって言われたら、言い返す言葉もないし。さすがにこいつ頭おかしんじゃないか?とクレームが出るに違いない。

 

ちょっと怖かった。怖かったので、そう提案したスタッフに、押し付けてみた。「シロちゃんを彼女と一緒にお風呂に入れてあげてと、デイに言っておいてよ」と僕。大人とは汚いものだ。スタッフは、邪気のなさそうな目を装い「は〜い。先生の指示だと伝えておきます」と言った。大人のずるさは全く通用しなかった。スタッフは僕より何枚も上手の「女のずるさ」でしっかり武装している。「また、先生がわけわからんこと言ってる!!」と怒られるだろうなと覚悟していた。

 

 

 

 

デイサービスが終わった彼女の診察に行った。シロちゃんは、柔らかいタオルに包まれて、横たわる彼女のお腹の上にいた。「お風呂に入ったから、湯冷めするといけないからね」と彼女は教えてくれた。デイサービスのスタッフは、彼女と一緒にシロちゃんをお風呂に入れてくれて、綺麗に洗ってくれていた。

 

「デイサービスで、シロちゃんは優しく洗ってもらえたの?」

「うん。優しく洗ってくれたよ」

「一緒にお風呂に入ったの?」

「そうだよ。嬉しかった〜」

 

デイサービスがどれだけ忙しいか。一日に多くの高齢者をお風呂に入れ、食事を食べてもらい、リクリエーションまでする。まさに忙殺されるはずだ。「忙しい」は、心を亡くすと書く。忙しい中で、誰かに優しくしたり、誰かのことを思いやったりするのは、とても難しい。いつも忙殺されてしまう僕はよく知っている。自分は心を亡くしていると反省する毎日だから。

その忙しい彼らが、彼女の世界観を大事にしながら、シロちゃんを丁寧に洗ってくれたということは、想像するよりはるかにすごいことなのだ。「そんなの誰だってできるよ」と思う人は、まだまだ人間というものも、そして自分さえもよくわかっていないかもしれない。残念ながら、人とはそういうものなのだけど、デイサービスのスタッフは違った。忙しくても、決して心は亡くしてはいなかった。

 

頬を赤らめて横になる彼女と、真っ白に戻ったシロちゃんを見て、僕もスタッフも嬉しかった。満足そうに笑う彼女は、とても幸せそうだった。

 

それにしても、きっと、シロちゃんも彼女も、施設のスタッフも、デイサービスのスタッフも、みんなが魔法にかかっていることに違いはないのだろう。