在宅医の泣き笑い診療録

宮崎県都城市の高齢者住居を抱えるクリニックで、理想の在宅医療を模索する新米在宅医の悲喜こもごも

100歳ロス

何かあるべきものがなくなった時の喪失感を「△△ロス」というらしい。誰かがいなくなった後の、胸にぽっかり穴があいたような、あるいは、祭りの後のちょっともの悲しい感じに近いのだろう。

 

「最近、さみしいんだよ」

 

と、外来に矍鑠(かくしゃく)と歩いてくるおじいさんが嘆く。100歳のおじいさん。認知もない。シャキシャキと歩いて、まっすぐ背筋を伸ばしている。

 

この冬のことだ。100歳を3ヶ月ほど過ぎた頃に肺炎に罹った。いつだって「入院だけは絶対しない」と言い張るおじいさんがさすがに苦しかったのか、その時だけは「入院させてくれ」と降参した。100歳の肺炎だ。いくら元気とは言え、100歳なのだ。家族も僕もいよいよかもしれないと緊張した。人工呼吸をするかどうか、心臓マッサージまでするかどうかの話し合いもした。万全で臨んだ。

 

そんな僕らをよそに、100歳のおじいさんは、翌日には食事を完食し、その翌日には退院すると言い始め、3日目に家族の反対を押し切り、一人で荷物をまとめ退院していった。「ちゃんと外来には来るから、な、先生。元気だろ、俺は?」と笑うじいさんを止める手段はなかった。

 

そして、すっかり元気になり、おじいさんは外来に来ている。しかし、今日は診察室に入るなり「寂しい」と言う。僕は大いに緊張した。ただならぬことだ。

 

「100歳になって、みんなが祝ってくれて、おめでとうおめでとうと言ってくれたのによ、時間が経てばだーっれも見向きもしなければ、声もかけてくれない。だからよ、先生、俺は寂しいんだよ」

 

100歳ロス。僕は何を言ってあげていいのかわからなかった。でも、言葉を継ぐ必要はなかった。おじさんはいつも通りおかまいなしに続けた。

 

「だからよ、先生、俺は決めたよ。101歳まで頑張る。101歳になったら、表彰されるだろ?だからよ、101歳まで頑張る」

 

ここ都城市は、101歳のおじいさんおばあさんに市長や助役が訪問して表彰してくれる制度がある。100歳のおじいさんは、100歳ロスから、肺炎の時のような底力で這い上がろうとしていた。

 

101歳を目指す100歳ロスのおじいさん。

 

僕は知っている。101歳を目指してこのおじいさんが頑張ることを。そして、もっと恐ろしいのは、101歳を迎え、表彰された後のことだ。次は、きっと「101歳ロス」がやってくる。100歳ロスはまだいい。1年後に101歳の表彰という希望のある到達点がある。101歳ロスは何を希望に、何を目標にそこから立ち直ればいいのだろう。

 

でも、大丈夫。僕はちゃんと用意してある。101歳ロスの特効薬は「目指せ日本一の長寿」。しかし、まだ言わない。101歳ロスになった時に、頃合いを見計らって一番いい時に処方するつもりだ。

 

いつものように、話したいことを一通り話して、「さてと」と、いつものように自分の間で立ち上がったおじいさん。診察室を出て行く途中、振り向きざまに、

 

「先生、最近、体がだるいのは、歳のせいかな〜?」

 

と、とぼけて笑う。まったく。100歳の体を張った自虐ネタはずるいよ。