在宅医の泣き笑い診療録

宮崎県都城市の高齢者住居を抱えるクリニックで、理想の在宅医療を模索する新米在宅医の悲喜こもごも

閉じられない扉

「24時間365日、いつでも患者さんを診てくれる個人病院!!」「24時間365日、救急車を受け付ける医院!!」と話題になるクリニックや医師をメディアが取り上げる。最近は、ご近所、南鹿児島市のM救急クリニックや、埼玉県川越市のK救急クリニックといったクリニックでの、新進気鋭の若い救急医の活躍を聞くことがある。

 

メディアでは一切取り上げられないが、僕がいま末席を汚しているこのクリニックも、24時間365日、いつでも患者さんを診ている病院のひとつだ。しかも、院長の確固たる信念で、開業当時の20年前から一環して、それを貫いている。20年の間、一度も病院の扉を閉ざしたことがない。開業が今なら、きっとメディアにも取り上げられていたことだろうと思う。メデイアの代わりに、噂好きな田舎の人のいろいろな噂の対象になりがちな院長だが、故郷の都城の人のためにという想いは本物で、時間外に請求してもよいと定められている診察代を患者さんから頂いていない。

 

法律上、時間外に来た患者さんを診た場合、病院は、診察料を昼間の診察料とは別に加算して請求して良いことになっている。例えば、再診であっても、休日に病院に来れば1900円、22時から6時までの深夜だと4200円を、再診料の690円とは別に請求されることになる(そのうちの7割は保険で支払われるが)。院長の考えはこうだ。「わがクリニックは、昼間に一生懸命働いていて、なかなか病院に来れない人たちの味方だ。だから、時間外加算はとらない。昼間と同じように、いつでも受診できる病院でなければならない」。僕は、院長のこの信念に惹かれてここで働くようになった。それだから、深夜にも定期薬をもらいにくる患者さんが何人もいる。普通の病院では考えられない光景だが、ここでは普通だ。それはそれで認められていることなので、当然のことなのだが、同じ市内の救急のかなめと思われている、同じように24時間営業の大きな病院はこの加算をとっている。僕たちは、時間外でそのかなめの病院の約3倍の数の患者さんを診ている。僕はただの勤め人なので妄想しかできないのだが、ほぼ昼間と同じような体制を深夜も敷いているので、人件費だけ考えても採算はとれてないと思うが、開業以来閉じてない扉は、今夜も患者さんのために開いている。

 

24時間365日の診療体制は、やってみたらわかるのだが、並大抵のことではできない。体力も精神力も、常人では考えられないタフさがないとつぶれてしまう。そうやってつぶれた医師やクリニックは山ほどあるだろう。それを、いままで院長一人でやってきたから驚きだ。何を言われようと、拝金主義では絶対にできない医療体制だ。

 

僕も、週に何度か夜の番をしている。

 

夜は、定期薬を貰いにくる人、学校帰りの学生さん、泣き止まないこどもを抱えたお母さん、いろんな人がやってくる。病院は、お年寄りの多い昼間とは全く違う顔になる。救急車もどんどん飛び込んでくるので、なかなかのにぎわいになる。医師は一人で、緊急性の高い患者さんがどうしても優先になってしまうので、救急車が何台もいっぺんに来る時には患者さんを待たせてしまうこともある。「そんなことは言うな」と院長には叱られるのだけど、夜は空いているからという理由で狙って夜に来る人には、できるだけ昼間に来てもらうようにお願いする。そういう人に限って「長い時間待たされた」と文句を言う事が多いのと、緊急性の高い患者さんが来ればどうしても手が取られてせっかく来てくれても満足に話も聞いてあげられないからだ。

 

いつかはコンビニのようになればいいとは思うが、病院は24時間やっていてもコンビニとはちょっと違う。開いているからいつでもどんな用事でも行けばいいというものでもない気がする。そのあたりは、その時代、その人の常識に判断をまかせるしかないのだけど。

 

夜中に来てもらって困るのは、この常識がないヤンキーたちだ。具合いの悪い患者さんもいるのに、大きな声で冗談を言い合い、忙しいスタッフに絡み、手がかかる。ガキは帰れ!昼間来やがれ!!と喧嘩して追い出したことも何度かある。その度に、ご丁寧にヤンキーの親から抗議の電話を頂くのだが、ヤンキーが親に言いつけたのかと思うと、今時のヤンキーはまったく理解出来ない。ヤンキーだけが非常識かというと、そうでもない。夜中に、学校に提出する健康診断をしてほしいという親子が来たこともある。どこを受験するのか、冷やかしで聞いてみると、親は「一応、東大です」とニヤける。東大行っても常識のないバカはただのバカだ、とついつい説教してしまう。それだから僕はまだまだ人間が小さいと反省する。

 

診察室の小さい入口から世界を覗くものだから、検尿カップに注いだぬるいコーヒーをかじりつつシャーカステンのレントゲンの光に目を細めつつ、いまどきの若者はバカばっかりだ、とおじさんは愚痴っぽくなっていた。

 

そんな夜中の診察にまたひとり若者がやってきた。22歳、風邪っぽい男性。作業着に泥をつけて、夜中の寒空の下で働いていたのだろう。顔は赤らんで、手は冷たい。髪は茶色とも、黄色とも言えない色で、後ろ髪だけ極端に長いのだけど、ヘルメットの跡がしっかり残っている。

 

「こんなに熱もあるのに仕事してたの?」

「はい!」

「きつかったでしょう?」

「はい!」

「体調の悪い時は、事故にも繋がるし、若い体だから大事にしなきゃいけないよ」

「はい!でも、家庭を持ったので。。。。」

「そうなんだね。こどもがいるの?」

「はい!産まれたばっかりっす!」

「かわいいでしょ?」

「はい!だから、がんばらなきゃって思って。」

「。。。。。。だけど、無理しちゃだめよ。もう一人の体じゃないんだからね。」

「はい!ありがとうっす!!先生も遅くまでお疲れさまです!!」

 

年をとったせいか、夜中にこんな事故に出くわすと、涙腺が崩壊しそうになる。病院に行って診察室でオッサン先生が泣いていたら驚くだろうから必死でこらえる。都城の若者にもよかにせ(いい男)はいる。

 

病院の扉は、今日も閉じずに開いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うなだれる「KING」

A「この間あげたパンツ、今日はいてます?」

B「はいてますよ♡」

A「本当に?」

A「(じっーと下半身を見て)え〜。全然透けてない〜。ざんね〜ん!!」

B「見ないで下さいよ〜。恥ずかし〜!!セクハラ〜!!」

 

看護スタッフ(女性。複数人)と僕の会話。色々な楽しい想像を膨らませたあなたには申し訳ないが、僕がBだ。

 

クリスマスプレゼントにド派手なパンツを頂いた。

 

僕は診療の時には白いズボンを履いている。この白いズボンはユニクロのウルトラエアーなんとかという、2015年最大のヒットと僕の中で超話題のズボンだ。伸びるし軽いのでかなり履き心地が良い。在宅施設の訪問診療はとにかく歩くし、よく屈むので、伸びて軽いこのズボンは必須なのだ。しかし、このズボンは欠点もある。生地が薄いのか、ポケットの裏生地がしっかり透けるのだ。よーく見ると、タイトなズボンなので透けるというより、ぴったり張り付くポケットの裏地がその分だけ盛り上がってしまい、結果として透けているように見えてしまう。真っ白ということもあって、スケスケのように見えるが、実は「安心して下さい、透けてませんよ」なのだ。とはいえ、おっさんのパンツが透けようもんなら、見たくもないもの見せられて周りは不快に思うだろうし、セクハラと訴えられかねないご時世だ。それだから、わざわざ単色で縫い目のないぴったりパンツを履いて、できるだけ透けない工夫をしている。これもユニクロのパンツなのだけど、履き心地もよいし、薄いのでラインも目立たない。僕の下半身はユニクロにしっかりガードされている。

そんなおっさんの甲斐甲斐しい努力をよそに、まったく、最近の若い(?)看護師はなにを考えているのかわからないが「白いズボンと一緒に履いて下さい」と、ド派手なパンツをプレゼントしてくれた。その日以降、彼女たちの視線は僕の下半身に釘付けになった。

 

「男性がおっぱいを見てるの、視線ですぐわかっちゃうんだから」と女性が言っているのを耳にしたり読んだりする。全く何言ってんだよ、俺のゴルゴ13のようなおっぱいへの鋭い視線がばれてるわけないだろ、と思っていたが、あれは本当だとわかった。指示を聞きに来たり、報告にきたりする彼女の視線は、僕の目ではなく、あきらかに腰より下、足よりも上。そう、股間なのだ。

お前らのやっていることはセクハラだぞ。と言っても、奴らはニヤニヤするばかり。はやくはいてくださいよ〜と催促までする。

 

声を大にして言いたい!!次は、僕がお前らにどエロな下着を贈ってやる。そして、毎日「つけてんの?見せて?」と訊いてやる〜!!それを絶対にセクハラと言うなよ〜!!

 

言っておくが、僕は傷ついている。あ〜心が傷ついた。あ〜辛い。セクハラされて辛い〜。もう何度も泣いて、そのパンツは濡れた。涙で、だ。他の体液ではない。その中でも、ちょうど前のその部分に「KING」と、でかでかとプリントしてあるパンツがある。自分のみすぼらしい姿とはほど遠い「KING」の看板を急につけられて、覗き込むと、しょぼりとうなだれている彼こそが今回の騒動での最大の被害者であることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

焼酎ゼリー

高齢者向け住宅(森山ウエルライフ)の訪問診療。いろいろあってずっと食べられなかった患者さんの嚥下訓練が始まり、努力の甲斐あって、ゼリーくらいなら食べられるようになってきた。「何を食べたい?」と訊くと「焼酎を飲みたい」と。

 

ここ都城は、あの日本一の焼酎「黒霧島」の生産地。焼酎好きの都城の『いもがらぼくと』(男性のこと)は昔から美味しい焼酎を飲んでいたのだ。

 

施設の食事のすべてを賄い、こまかい要望に応え、いつも美味しい食事を提供してくれている『森山の料理番』に、なんとかしてやってくれ、と頼んでみた。シェフはしばらく思案した挙げ句に、塩味のやさしいトマトのジュレを添えた焼酎ゼリーをこの患者さんのために作ってきてくれた。口に入れると、ほんのり甘い焼酎の香りが口に広がる。トマトが後追いでやってきて、塩味をそえる。何かしゃれたつまみで、黒霧島をちょっとやっている気分になる。このシェフはいつもこちらの想像を超えたものを作ってくる。

 

シェフも同伴しての午後からの訪問で、患者さんに食べてもらう。頬の筋肉と口角が一気にゆるむ。「おいしい」と。一口、二口。軽くむせた。勢い余って急いだのか、胸からなにかこみあげてきたのか。目には涙がにじむ。

 

何年ぶりの焼酎の香りだろうか。

 

食べること。味わうこと。それを楽しむこと。共有して喜ぶこと。必要な栄養素を摂らせるでも、食べさせるでもなく、幸せを体にしみ込ませてくれたシェフの渾身の「焼酎ゼリー」。

 

僕も今夜は黒霧島で酔うとしよう。よい正月が来そうだ。